それはまさに、地獄と形容すべき風景だった
平和な筈の住宅街の家屋はその殆どが原形を残しておらず戦いの凄惨さを物語り
崩れた家屋からは死臭が、燃え上がった家屋からは人の焼ける臭いが漂ってくる
壱織と紅葉は背中合わせで二つの敵と戦っていた
一つは、黒い軍服を着た集団…ファウストの強化兵達
もう一つは、クリーム色の体液を節々から垂れ流す蟲のような怪物達…そして…
「…っ、流石に数が多すぎるよ壱織姉。」
「お願い、目を覚まして!!」
壱織が蟲達の先に居る…物言わず涙を流し、蟲を装甲のように纏った少女に叫ぶ
「気をしっかり持って、梨沙ぁ!!」
話は、その日の朝へと遡る
「着替え終わったかー?」
大家さんが玄関の外で待っていると、壱織が中から親指を立てた手を見せOKの合図をする
中へ入ると、そこにはクリーム色の可愛い少女がいた、着替えを終わらせた梨沙である
淡い色のセーターとロングスカートは以前助けた時の悲惨な格好を忘れさせる
寧ろクリーム色という独特な髪の色が人形じみた可愛さを引き立てているのは皮肉とも言えるだろうが…
「おぉ、より可愛くなったじゃないか」
大家さんが言うと無表情な梨沙の顔が少しだけ綻んだ、この子も野菜スープの一件以来大家さんには心を許しているようだ
壱織達は梨沙を取り返した際に彼女の親族の居場所を調べていた
ロストした被害者を最も幸せな形で助ける、それが壱織の目的であり紅葉にとっても過去の償いとなっていた
もっとも、ここまで救出に成功した例は今まで紅葉と梨沙の二人のみなのだが
そして一番難しい課題が、改造を受けた梨沙を家庭に受け入れてもらえるかだ
鏡を支える紅葉が少し項垂れた、その頭をのしのし家に上がってきた大家さんが殴る
「ぎゃんっ!!?わっ、何するんだよ」
一瞬の痛みに頭を押さえて、慌てて倒れそうになった鏡を支えなおし紅葉は大家さんに訴えかける
「いつまでも気にしないって言ったのは紅葉だろうが、それよりは梨沙の事を心配してるんだな」
その言葉に納得し…殴るのはやりすぎだとも思うが納得した紅葉は「そだな」と一言言って梨沙を見た
「ところで、その親戚ってどんな奴なんだ?」
紅葉が聞いた
「五花・佳奈果(かなか)っていう女の人、工業大学の教授…」
「なんだ、壱織と元同業者か」
大家さんの何気ない一言に紅葉は目を見開いた
「へ、壱織姉って教授だったの?…じゃあ今何歳…」
「昔の話よ。」
途中ではっきりとした壱織のその言葉に遮られ、紅葉は言葉を詰まらせた
「…あと歳は関係ないでしょこの身体だったら、もう」
わざとらしく頬を膨らませた壱織だが、過去の話題には本当に触れられたくないらしいと言う事は紅葉にも理解できた
同時に、同じ身体を持つ義理の姉に対しての壁さえも…
「もみじ…おねぇちゃん」
紅葉が気がついてすぐ横下を見ると、梨沙が紅葉を心配そうに見上げていた
相変わらずの無表情だが、心配しているという事は不思議と感じられた
「……ごめんな、あたしがこんなじゃ不安になるよな。」
紅葉は一回、両手で頬を叩いて気付けをした
今度こそ鏡が倒れて割れて、大家さんが紅葉の頭を殴った

「バカになったらどうしてくれるんだよ、こんなあたしでもここは唯一生身なんだぞ?」
「バカだな、もう既に馬鹿じゃねぇか。それ以上はないから安心しろ。
せっかく貸してやった鏡を粉々にしやがって。」
頬を膨らまして車の後部座席に座る紅葉に大家さんは冷徹な返答を返した
それによって不満の表情を余計露わにする
「・・・。」
梨沙が二人の間の険悪な空気に首を項垂れている
壱織がなだめるように言う
「まぁまぁ、そろそろ着くよ。」
壱織達の載った車は都内にある住宅地に佇む、ある一軒家の正面に停車する
「ありがとうございます大家さん、それじゃあ話を付けてくるから
あっちも工学の専門だから、話はわかるだろうしね。」
そういって大家さんに一礼した後、壱織は車を降りてチャイムのボタンに手を伸ばそうとした
伸ばそうとして…辞めた
車の窓を割って、紅葉が車から飛び出したからだ
「…な、紅葉!!人の車になにを…」
「壱織姉!!血の匂いだ!!」
紅葉のその一言で、大家さん…大樹と壱織の目つきが変わった
壱織は大きく腕を引き、力づくで家の門を叩き壊した
紅葉はそのまま塀を跳び超えて敷地へと入り込む
紅葉の目が庭の窓から見える内での人影を捉え、判別する
黒い軍服、ファウストに所属する人間が6人
そして肩から血を流している妙齢の女性、恐らくは五花佳奈果
紅葉の思考はファウストの殲滅に向けられた
右手の皮膚が銀色の装甲と入れ替わる
「変身!!」
掛け声と共に紅葉の全身が銀色の甲冑に変換した
「変身…!!」
壱織もコートを脱ぎつつ駆け足による衝突で家屋のドアを突き破る
ドアが弾けた向こうには、緑色の甲冑に身を包んだ壱織が居た
ファウストの軍服達がその存在に気付いた時にはもう遅く、紅葉は窓ガラスを突き抜けて
軍服の一人の頭部を鷲塚んでいた
そして勢いに任せ回転し、佳奈果らしき女性に近い軍服に投げつける
しかし対象の軍服は左手を振り上げ投げられた軍服を弾き飛ばした
熱量で軍服の腕が焼け落ちる、その腕は機械で作られていた
「強化兵か、厄介だ。」
軍服達は掌から刃を突き出し、女性を確保しつつ紅葉に襲い掛かった
しかし紅葉もそれ以上の装備を持っている、指先から爪が伸びると紅葉は軍服の刃を引き裂いた
引き裂かれた刃には高熱を帯び熔かされた跡
放熱の爪を仕舞い、紅葉は電磁加速ブロウで軍服の腹部を貫いた
…頬が、釣り上がった気がした
自分達より高性能の紅葉に気を取られている隙に、女性を確保している軍服の後頭部に衝撃が走った
壱織が軍服の脊椎コードを切断したからである
「大丈夫ですか?早くこっちへ!」
「あ…あんたは…!!」
力の抜けた軍服の腕から佳奈果を離し壱織は家の外へ駆けだす
車の周囲にも、軍服の集団が集まりだしていた
「…ちっ、ここは住宅街だぞわかってんのか!?」
中の人間がどうなっているのかが解らないため、壱織達が来るまで車は発進はできない
かといってこのままでは道が軍服で埋め尽くされてしまう
「大家さん!!」
「ちょ、ちょっと待っておくれよ…っ!!」
壱織が女性の手を引き玄関から跳びだした
「遅い!!早くしろ壱織!!」
車の後部座席を開けて二人を入れる準備をする
しかし、一発の銃声の後、女性は崩れ落ちた
力が抜け去ったのではない、文字通り硝子のように崩れ落ちたのだ
大樹も壱織も、突然起きた常識を無視した現象に自らの目を疑った
門を越え、転がってきた女性の首を見て理沙は
無表情なその顔を、恐怖で歪ませた
「…ま………ま…………?」
それを聞き逃さなかった大樹は、理沙の方へ振り返り聞き返した
「……なに?」
梨沙の様子は明らかに異常だった
「いや…いやぁっ…ママが、や…あっ…」
全身が震え、顔は蒼白となり、こんな状況なのに何かに耐えているような
しかしそれは限界へと達し絶叫と共に産み出した
「ぁぁ…ぁぁああああっ…っ!!!!」
梨沙のスカートの隙間から銀色の液体が流れ出す
その場に屈み込んだ理沙は吐き気を催す自身の変化に口元を押さえこむ
「おい、理沙!!」
そう言って車から飛び出し理沙の席へ駆け寄ると、窓越しに何かと目が合った
それは巨大な複眼、銀色の液体がうねり、固まり、変色し、クリーム色の蟲のような機械を形作っている
「うぐっ…ぅぅっ…~~~!!」
苦しむ梨沙の足を伝い、元は人の子を生むべきそこからも機械は溢れ出し理沙の体を埋め尽くそうとしていた
「梨沙!!くそ、そこから出ろ!!」
蟲の群れとなった車内から理沙を助け出そうとドアを開ける
しかし車内から飛び出した蟲の群れが大樹を押し出した
「うわあぁっ!?…ウソだろ?」
それは羽虫だった、細かい羽虫が車から溢れ出し、一瞬の内に辺り一帯の空間を覆い尽くした
しかし羽虫は車と家屋から一定の距離を置いている
堪らなかったのは軍服達だ、正体不明の羽虫が機械の隙間から入り込んでくるのである
壮絶な羽音に何事かと窓を開けた一般人にも羽虫達は襲い掛かり、悲鳴と絶叫が街中から響く
バチ……
そしてどこかで火花が走り、羽虫達は街全体を巻き込んで…大爆発を引き起こした
ゴバアアアアアアァァァァァ…!!!!!!
「梨沙あぁぁぁぁ!!!」
大樹の呼び声は、爆風にかき消された
それは、何処から来たのか…
とある研究施設に辿り着いた、瀕死の男の応急治療から始まった
『これはどういう事だ?人間が持ちえる生命活動器官を何で代用しているんだ…』
現代の科学技術を凌駕した技術によって改造を施されたその身体は
その殆どが機械仕掛けだった
それは、その手術に立ち会った女学者の目に見ても複雑かつ簡易的な機構
『ありえない、こんな簡単な機構で生命維持なんてできる筈がない
でも現にこの男は生きている…』
まるで魔法だ、優れ過ぎた技術は魔法としか認識することができないと何処かの心理学者が言っていたが
これは紛れもないオーバーテクノロジーだった
『こ…こいつ、俺達にも造れるんじゃないか…?』
ある一人の研究員が、手術中に呟いた
ノイズ、一呼吸置いて、瞼が開いていく
「…っく」
瓦礫を押し退けて地表に這いあがった壱織は、まさに地獄と形容すべ光景を目にした
平和な筈の住宅街の家屋はその殆どが原形を残しておらず戦いの凄惨さを物語り
崩れた家屋からは死臭が、燃え上がった家屋からは人の焼ける臭いが漂ってくる
「一体、何が起こったの?」
ひび割れたバイザーが自己修復を始める、サイボーグ化の際自身の血に混ぜられた
微小機械が生物と機械の中立を保っているその副作用だ…それで、思い出した
「そうか、どうりで梨沙ちゃんが生身に近かった訳ね。」
爆発前に理沙が見せたあの異変、あれは機能を拡張した微小機械が蟲として集合体を形作ったものだ
本物の虫を含む生物の殆どが細胞の集合体として形作られるのと同じように
恐らくは梨沙自身も身体は微小機械の塊なのだ
そうこう壱織が思案しているうちに、紅葉が瓦礫から這い上がってきた
「…ぶはっ!!壱織姉ぇ、一体何が起こったんだ…っ!!?」
鼻を突く死臭に思わず鼻を押さえる、直感的に脳に植えつけられた本能を刺激しない為に
「これは、一体何が起きたっていうんだよ…」
「紅葉、あれを見て。」
壱織に促され、紅葉が見た先には
四肢を粉々に破壊された軍服の頭部を握り上げる、クリーム色の『怪人』が居た
「多分これは、罠だったのよ。
梨沙の親戚なんて初めから居なかった、母親の偽物を殺して梨沙のトラウマを刺激させ
暴走させた本来の機能と破壊力を試す、実験。」
ヘルメットの下で壱織がぎりりと歯軋りをする
上空から、ヘリコプターの羽音が聞こえる
垂れ下がってきたワイヤーを伝い、黒い軍服を着た集団が降りてくる
今度は全員が女性、爆発前に戦った集団より格上と悟れる
いや、壱織が睨むのはその先、クリーム色の怪人と壱織達の中間に佇む少女だ
18歳前後に見えるスタイルの整った身体を作務衣に包み、背後に身の丈の半分はある紫色の多脚の機械を従え
銀色の長髪をツインテールにした少女、その頭部には壱織達と同じ赤い二本のアンテナ
「No.1…いえ、桜博士。
この一帯は完全に社会から末梢…ロストされました。
No.5をこのまま引き渡すのであれば、 元同僚 の好でこの場は見逃します。
只でさえ、今はあの子を取り押さえるだけで強化兵も多く廃棄する事になりそうですし。」
混乱する紅葉を背に、壱織が睨みかえして女性に言い返す
「ふざけるのはその病的な女装趣味だけにしてほしいんだけど?三井教授。」
それは明らかな挑発だった、頬をひくつかせ、少女…三井教授は言い放つ
「特殊改造機No.3の権限において、No.1及びNo.4の破壊を許可します!!」
「くぅぁぁぁぁああああああああああああ!!!」
その怒号と共に、クリーム色の怪人が涙をまき散らし雄叫びをあげた
瓦礫の隙間を伝い、クリーム色の液体が滲みだし巨大な蟲が姿を現した
それも一体ではなく、軍服で包囲された隙間を埋め尽くすように大量に
「…駄目っ!!」
壱織が叫んだ時にはもう遅く、蟲達は強靭な顎で近くの軍服を砕き、喰らい始めた
三井教授もこれは予想外の状況らしく、舌打ちして多脚機械の上に跳び乗った
「な…なぁ!!どういう事だよ!?
あの怪物は何!?それに壱織姉ぇが…」
紅葉が言おうとした事を遮り、壱織は言った
「あれは、梨沙ちゃんの生んだ兵器よ。
それであの怪人が…梨沙。」
紅葉は悲痛な表情で怪人…理沙を見た
嘗てのクリーム色の美少女の面影はなく、複眼から絶えず涙を流し暴れる梨沙に
紅葉は嘗ての自分の姿を重ねた
「うそ…嘘だよね…梨沙ぁ!!」
現実を否定するように嘆く紅葉をよそに、三井教授は狂喜を高笑いに乗せて笑った
「これだ!!!我々が今まで達し得なかった肉体の限界を超えた進化!!!
これで我々は、『あの男』にまた一歩近づいた!!!」
その時、轟音と共に弾丸が三井教授の頭部めがけて放たれた
しかし三井は微動だにせず、足元の多脚機械が器用に広い壁の瓦礫を蹴りあげ着弾を防ぐ
弾丸が炸裂した壁は一瞬の間をおいて爆発した
弾道の先には巨漢と呼べる体格でさえ不釣り合いな銃を持ち脱臼した肩を抑え
額から血を流しつつも生き延びた大樹の姿があった、彼も生身ではあるが一般人ではない
苦痛に顔を顰めながらも、肩をどうにか押し治しもう片腕で銃を紅葉に襲い掛かる軍服に向け放つ
「が…あっ!!」
反動でまた鍛えた肩が外れそうになり、更なる苦痛に声なき悲鳴を上げそうになるが押し殺す
右胸に着弾した弾丸は爆発し、軍服は微塵に消し飛んだ
「否定するな!!戻してやれ、泣いてるだろうが理沙は!!」
その一声が鶴の一声になり、我を取り戻した紅葉は三井教授の認識速度を上回るスピードで理沙に駆けだした
壱織も背中に内蔵した剣を抜き、三井教授と軍服達に構える
「貴様、まさかあの時の!!」
睨む三井に大樹は好戦的な笑みを見せて言った
「よぅじじぃ、怒鳴り声に迫力が無くなったなおい?」
「…!!No.5の確保を最優先しろ!!!」
三井教授の指令を受け軍服達が梨沙の方を向くが、その隙をついて
大樹は弾丸を一つ取り出し、安全ピンを抜いて軍服に投げた
弾丸にした時より高威力の爆発が軍服を襲う
それを認識した軍服は大樹にも襲い掛かるが振り下ろされる鉄槌を銃身で受け流し、後方の軍服の心臓部にそれをぶつけ破壊させる
そして近接した軍服の口に通常のピストルを押し込み何発も放つ
ビクビクリと痙攣した後、軍服は動かなくなった
それを蹴り飛ばした大樹が軍服達から距離を置くのを手伝うように壱織が軍服の集団に剣を振る
鋭利な切断面で、大樹に殺到した軍服の数体が切り裂かれた
「思いどうりに行くと思うなクソ爺ィ、せめてお前だけでも此処で潰す!!」
引かず、親指を下に向け挑発する大樹
「梨沙も渡さない!!」
剣を三井教授に向け、ファウスト達の注意をこちらに向ける壱織
そして、怪物蟲の頭を踏み越え理沙に向い跳躍する紅葉
「気をしっかり持って、梨沙ぁ!!」
三つ巴の戦闘が始まった
To be continued
夜の山動を黄色い車が走る。
運転をしているのは大柄な巻毛の中年。
「そいつが、半年前の被害者か。
髪の色まで変わっちまってるじゃねぇか。」
少女の髪は淡いクリーム色、日本人にはあり得ない色をしていた。
そして頭に生えた二本の白いアンテナは
少女が不可逆なまでに改造を受けた証だった。
何にも反応しない少女の目を見ても、少女の今後が絶望的に思えた。
それを鏡で覗いた中年は少女を哀れんだ。
「せめて日常生活を送れるほど、組織の技術が進んでいることを祈るしかねえな。」
中年が言うと壱織が心配そうに言った。
「大家さん、もし…駄目だったときは…」
「いいさ、変な住人にはお前等で慣れてるよ。
それよりは受け入れられる事を願えよ。」
大家さんと呼ばれた中年は壱織を見た。
そしてある事に気付く。
「おい、その子最初からそんな蒼かったか?」
「ふぇ?そういえばさっきから小刻みに震えてるような…」
壱織の返答を聞いて大家さんの予感は確信へと変わった。
少女は涙目で何かに耐えていた。
「………………うぇっ………」
車は急ブレーキした。
突然の急ブレーキで、今まで熟睡していたNo.4は目を覚ました。
「ぷぁっ!?なんだ何だぁ!!?」
「紅葉!!!そのガキ連れて早く道際に行け!!!!」
「ひゃいっ!!!」
大家さんの怒号に驚いたNo.4は言われるがままに車を出た。
紅葉(もみじ)とはNo.4の人間としての呼び名らしい。
「よし、そのままその子の背中をさすれ。
優しくだぞ。」
「???」
寝起きの紅葉はそのまま少女の背中をさすった。
「う…うえぇっ…」
それを車から見ていた大家さんは…
「…生身と変わりないみたいだな。」
と暢気なため息をこぼし、壱織は少女の吐いた物体を見ていた。
クリーム色のゲル状の物体。
建物の地下で、少女が絶えず注入されていたものだった。
「ファウスト…っ!!!」
壱織は、少女を非道な器具に繋ぎ自分達を人外へと改造した組織の名を憎々しげに呟いた。
夜明け、車はとあるアパートの前に止まった。
「他の住人が寝てるから静かに帰れよ。」
「「はぁぃ。」」
二人は小声で返事すると、少女を壱織が担ぎ鉄の階段をそっと上って行った。
それを確認した大家さんは安心のため息をこぼし、自分の部屋へと帰っていった。
菅原 大樹(すがわら だいき)37歳独身は生身の一般人である。
この中年が何故、彼女達非日常の存在と関わるようになったのかを語るのは
まだ遠い先のことである。
「はいよ手を上げな。」
紅葉は少女と一緒に風呂場の前で服を脱いでいた。
少女も、紅葉の言うままに今や服とは言えない布切れを脱いだ。
「言ってることは解るみたいだなぁ。」
生まれたままの姿(?)となった二人は遠目にみると生身の人間に見える。
だが、紅葉の横顔には耳がなかった。
代わりにあるのは銀色のアンテナ。
頭部の赤いアンテナこそが彼女の耳なのだ。
しかし…
「この子には…耳があるな…。
一体どんな改造を受けたんだ?」
壱織は二人が風呂に入っている間テレビでニュースを見ることにした。
壱織はあの二人とは根本的に仕様が違うのだ。
風呂には浸かれるが、浸かる意味がない。
『昨日午前8:45に、近隣住民の通報により
東京都杉並区在中の…さんがロストしていたことが判明しました。
付近の皆さんは戸締まりに細心の注意を払って下さい。』
「またか…。」
ロストとは、近年発生し続けている連続誘拐事件の総称である。
一般には、そう語られているが
実際、その現象の正体は秘密組織『ファウスト機関』のヒューマン・ミューティレーションである。
壱織は悔やんだ。
ロストした人間をどれだけ探しても見つけるには何ヶ月もかかり、その度間に合わなかった。
その様はまるでイタチごっこなのだ。
一緒に風呂に入りながら、紅葉と少女は黙っていた。
「………なぁ、なにか話せるか?」
先に口を開いたのは紅葉だった。
性格上、紅葉にはこの静寂は耐え難いらしい。
「ん~と、名前は…」「りさ…五花 梨沙。(いつか りさ)」
少女、梨沙は消えそうな声で答えた。
それを聞いた紅葉は嬉しくなって続けた。
「梨沙ちゃん…か、良い名前だ。
あたしは四季 紅葉で、もう一人は桜 壱織、それで…」
「…次はいつチューブを挿し込むの…?」
「……っ!!!」
紅葉が梨沙の方を見ると、梨沙は泣いていた。
梨沙が地下で受けた非道、大小不気味なクリーム色のゲルを絶えず吐き出すチューブを
口・鼻・耳・菊穴・そして幼い秘所…体中の穴という穴に深く挿し込まれ
ゲルを体内に吐き出される度、それが体中の細胞を蹂躙する。
暗い闇の中ただ自分が書き換えられる恐怖におびえる毎日。
「…梨沙ちゃん、あたし達はあいつ等とは違う。
もう君は自由なんだ、あんな酷いこともうされないで良いんだよ。」
「…同じことをしてた…。
聞こえた、怖い声を出して逃げる人達を、潰して、潰して、潰して…」
紅葉の表情に旋律が走る。
「あの人達がパパとママを殺したみたいに…。 」
その言葉が、紅葉にどれだけ重くのしかかっただろう。
紅葉本人も、自覚はしていた。
建物に進入する際、どれだけ多くの戦闘員を殺したか…
(久々の狩りだ…遠慮できる訳がない…)
「…っ!!!」
心のどこかで囁いた紅葉は両手で自らの顔をバチバチ叩いた。
紅葉はこの程度の衝撃で痛みを感じることはない。
これは紅葉なりの気付けだった。
「…確かに、私は汚れてる。
だから梨沙ちゃんだけは綺麗に日常に返してやりたいんだ。」
ニッと作り笑いをする。
「………。」
「信じてくれなくて…結構だけどさ。」
結局、梨沙は紅葉に気を許さなかった。
それでもいい、梨沙は明後日には親族に会わせる予定だ。
梨沙を受け入れて貰えるために綺麗にする。
汚れた自分は受け入れて貰えなかったのだから…

夢とは眠っている間に記憶をリフレインさせる作業であるという説がある。
その晩、紅葉は過去の夢を見た。
『やだぁっ!!やめて!!助けて!!
機械の体なんかなりたくない!!!』
紅葉もまた、ロストの被害者として
ファウスト機関に誘拐された実験体だった。
『おぉ、今回の実験体は元気なお嬢さんじゃないか。』
『ひっ……。』
機関の幹部らしき男が生身の紅葉の顔を覗きこむ。
そして手に持ったナイフを左手首に深く突き刺した。
『ぎゃいっ…あぁ…いあぁぁあああっ!!!?!!』
ナイフを捻り込まれる激痛に紅葉は悲鳴と言うにはあまりに本能的な叫びをあげる。
『手術を受けなければ痛みに解放されず死ぬ。
受けたいだろう?』
…頷かざるを得なかった。
狼のような体と最新の変身機構を与えられた紅葉は組織の暗殺班に道具として使われた。
消去対象は組織をおうあらゆる政府機関の長達。
対象を補足する度に首輪のような受信機構から衝動を送り込まれる。
最初は必死で抵抗する、しかし勝てたことはなかった。
(殺せ!!狩れ!!喰らいつけ!!!!)
(やだ…あたしは人間だ…犬じゃない…骨を折る感覚も、肉を喰いちぎる感覚も…気持ち良くなんか…なんか…)
どれだけ言い訳を考えても、その感覚を思い出す度に
全身を催すような感覚が沸き身を捩らせる。
人間形態で苦しむ私を心配し、対象が紅葉の肩を叩く。
『うぁ…あああぁぁぁあああっ!!!』
その瞬間、紅葉の脳の奥底が爆ぜた。
肩を叩いた手を握りつぶす。
肘で胴体の内蔵を押しつぶす。
頭を掴み体から引き離す。
まるで鬱憤が溜まった状態でぬいぐるみの手足をもぐ様な、それを何倍にも凝縮したような快感が両手を襲う。
『はっ…はっ…もう終わり?
周りの護衛でヤってもいいの?』
死体の肋骨を踏み折りながら先ほどまでの紅葉とは全く違う
快感に酔った声で首輪への送信者へ問う。
答えは、更なる衝動。
『ひはっ…いっぱい…殺せるぅ…vv』
パブロフの犬、それは当時の紅葉をもっとも正確に表せる言葉だった。
『はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…あは…』
理性と記憶は虐殺が終わって余額に浸っている間に帰ってくる
(もう少しこの快感に浸っていたい…)
そう思った時点で、紅葉はもう後戻りができないことを悟った。
それから数週間後の事だった、桜 壱織の抹殺指令が出たのは…
最初は、ただつまらなく感じた。
(なんだ…たった人間一人、快感に酔いきることもできない。
せめて人間としての後悔が残らないように殺そう…)
『君…名前は?』
『うん?』
突然話しかけられる。
『人間だった頃の名前。』
…ファウストのかなり深い所まで知っているようだ。
抹殺指令が出るのも当然、なら隠す必要もない。
衝動に任せて変身する。
『四季 紅葉、今はもうパブロフの犬。』
紅葉の返事を聞くと壱織はくすすと笑った。
『よかった、君はまだ答えられるんだね。』
言いたいことは解る。
私の他にも、改造を受けた仲間は沢山居た。
彼らは快感に完全に溺れきっていた。
『だからなんだ。』
『君を…助けられるかもしれない。』
紅葉は鼻で笑った。
『はっ、できるものなら!!』
右手に放電した電気が走る、そして拳を振り下ろす。
『助けてよ!!!!』
自分の為にせめて一瞬で殺そう、そう思っての電磁加速ブロウだった。
しかし、拳は壱織にあっけなく掴み取られる。
黒い手袋に放電した電流が逃げていくのが見て解る。
紅葉は動揺した。
『な…何で…?』
丸く優しそうな壱織の目が一瞬で鋭くなる。
『その首輪か……』
紅葉の手を振り払い、バックステップで大きく下がる壱織。
裾の長いコートを翻し、頭を隠す帽子を脱ぎ捨てた壱織を見て紅葉は確信した。
赤いアンテナ、胴回りの変身機構…
彼女もまたファウストのサイボーグだった。
だが壱織は顔を除いて殆ど機械の体を晒した状態だったのだが…
『変身!!!!』
壱織がコートを脱ぎ捨てて叫ぶ。
変身機構のバックルが唸り、壱織から発された熱風が辺りを覆う。
人工皮膚の周りを甲冑が包み込む。
頭部を緑のヘルメットと漆黒のバイザーが覆い
ヘルメットに束ねられた髪は熱を持って発光する。
それはまるでヒーローの出で立ちだった。
『あんたもサイボーグ…それも…』
『スプレーがないと肌も偽れない旧式よ。』
壱織は人間の常識を無視した加速で紅葉に積め寄る。
それが紅葉に恐怖を与える。
『う、うあああぁぁっ!!!』
紅葉は全力で壱織の全身を蹴りあげた。
壱織の体が宙に舞う。
しかしすぐに体制を正し落下してくる。
『ふぅっ…んぁ…あぁっ…』
それを待っている間首輪から激しい衝動が送り込まれ
紅葉は呻き声をあげて立ち眩みを起こす。
(何故狩れない!!殺す!!割る!!砕く!!従う!!)
『もう…嫌だあああぁぁっ!!!!』
高速振動と高電磁、二つを兼ね備えた凶器の拳を落下先に振る。
しかしその直前に壱織は空気を蹴った。
完全に振り上げた拳は戻せない。
反射的に蹴り上げようと片足を動かすと反対の足を払われバランスを大きく崩す。
そして顎に掌打を叩きつけられる。
『ぎゃんっ!!?』
脳を大きく揺さぶられ、暗転。
首元を引きちぎられた感覚の後、紅葉は思考を手放した。
どうやら組織では死んだという事にされていたらしい。
首輪を外されれば、変身機構の調整ができなくなり
暴走して死に至るからだ。
しかし、改造を受けた際、生命維持のため最も重傷を負っていた左手首が変身の要となっていた私は奇跡的に、助かった。
目覚めが近いらしい、夢は段々短い映像がフラッシュバックするようななってくる。
『そんな汚らしい人形が私の娘なものか!!
侮辱も対外にしろ!!!』
紅葉はその後家族の元に送られた。
改造前の記憶の大半を〈調教〉によって埋められていた紅葉は自分が良家の生まれだったことに驚いた。
しかし、紅葉の父は紅葉を頑なに拒絶した。
紅葉にはもう帰る場所がなかった。
『ねぇ、良かったら一緒に住まない?』
『へ?』
「…懐かしい夢を見たな…。」
時計を見ると午前11時、随分長い間寝ていた…
「…ん? どした?」
横にはおびえきった顔で正座する梨沙。その前に置かれた置き手紙を読む。
「え~なになに?
梨沙ちゃんの服を買ってきます。
大家さんには見つからないようにして下さい。
あの人のことだから「服買う金があるなら家賃払えよ。」と言いそうですから…」
…あれ?おかしいな、今声がかさなったぞ?
後ろを向くと、そこには鬼が居た。
「そりゃないよ壱織姉ぇ…」
紅葉は現在の驚異を相手に通用する言い訳を考えた。